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他人への関心があまりなく、また鈍く傷つきづらい性質なので、おそらく知らぬ間に人を傷つけている。そのくせ口数が多い。余計なことを口走る。
最近の人付き合いのストレスはもっぱら、傷つけてしまったであろうことに気付くことである。
しかし、自己肯定感は低くとも自信はあるので言わせてもらえば、鈍く無関心で弁が立つという性質が、現在他人から私が得ている(と思われる)社会的な評価を生み出す一要因であったこともまた事実であると考えると、捨て難く思う。
他人の評価で自己の価値を定めることに疑念を抱く瞬間もあるにはあるが、自身の本質的な価値とは異なる、社会的な価値というものは間違いなく存在する。
それは、生きていく術でもある。
そもそも捨てることは出来ない気がする。知らんが。
なんとかして上手く付き合っていくしかないのだろう。自覚できただけでも1歩と考えよう。
人を傷つけることで自分が傷つくのであれば、傷つけないように言葉を選ぶ努力をしていけば良いのだ。
難しいことではあるけれど。
それはそうと、自分がどんなであってもこの人はきっと自分と友達でいてくれるだろうと思える友人が4人ほどいる。
だからこそ彼らへは優しくいようとようやく思えたのは情けないことに大学生になってからであった。
そもそも誰かを傷つけたことに気づいて自分が傷つくなんていうのは友人限定である。それ以外の有象無象は誰が傷つこうと正直どうでもいい。
ただ傷つけてしまったところを見られて彼らに嫌われてしまうことには耐えられないので、できる範囲で他人に優しくするというのが、ここ3年ほどで私が出したひとまずの結論であった。
新幹線。目的地へはまだ遠い。